沖縄の世界遺産の中で最古のグスク「勝連城跡」は傾斜を利用した城壁が特徴で眺望は抜群!

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勝連城は12~13世紀に築城されたと考えられているそうです。初代城主の勝連按司(この地の権力者であり豪族)で五代目まで続いたのですが、六代目に世継ぎができず伊波按司の六男を養子に向け、その後七代・八代目は浜川按司となり、九代目の茂知附按司は圧政を敷きお酒に溺れ、十代目として人々から信頼のあった阿麻和利(あまわり)が城主となり、中国や東南アジア、日本本土と貿易を行い繫栄を極めたと言われております。

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城壁は、自然の地形を利用しながら石灰岩の石垣をめぐらせていて、最高部の「一の曲輪」「二の曲輪」「三の曲輪」「四の曲輪」と各平場が階段状に低くなり、再び南東側に「東の曲輪」となっている。
勝連城の各曲輪を結ぶ石階段は、城壁に沿うように右側から旋回して上がる構造になっています。これは敵軍による侵入を防ぐ工夫がされているということです。

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四の曲輪から三の曲輪へ細い石畳を上がりつめた場所に、三の曲門があり三の曲輪では儀式など執り行う広場として使われていたそうです。

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二の曲輪には柱の多い立派な建物があったと考えられます。どのような施設があったのかは不明だそうですが、お城の中では重要な建物があったんではないでしょうか?

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一の曲輪には貴重品を保管する倉庫があったのではないかという説があるそうです。

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勝連城には、神が祀られている場所「御嶽」が多く、とても神聖な場所です。一の曲輪のある「玉ノミウヂ御嶽」は按司(この地の権力者であり豪族)の守り神を祀った拝所で大きな岩は勝連を守る霊石。かつては二の曲輪のウシヌマガマとつながっていたのではという説もあるそうです。

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かつては、こちらの二の曲輪にあるウシヌマガマとつながっていたのではという説もあるそうです。ウシヌマガマのガマとは洞穴のことで、天災や戦いのときここに身を潜めて難を逃れたそうです。

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また、同じ二の曲輪にはウミチムンという火の神で、台所に祀られている神様であることから、台所がここにあったのではないかと言われております。

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下の写真は、ミートゥガーという泉(井戸)で男女の逢瀬の場所であったという伝説があり縁結びの泉だそうですが、ただこの泉のそばで恋物語をすると、ここで結ばれた男女が別れた時はどちらかに不幸が起きると信じられていたそうです。

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